2014年9月13日土曜日

今年鳥取とイタリアにスタバが進出したらしい



今日朝(ほぼ昼)起きたらこんなニュースをみかけた。

スタバ「ゼロ」鳥取の屈辱、山陰2号店は再び「島根」で鳥取〝コケ〟…2号店は動員力ある出雲大社に、鳥取怨念「スタバよ、来るときは覚悟せえ」
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140112/wlf14011212010014-n1.htm


タイトルが長い。そして鳥取にスタバとかどうでもいい。
私の地元秋田にもほとんどの場所にスタバもマックもケンタッキーもセブンイレブンもないけど
誰も困っていない。



ただシンガポールでオーストラリアからスタバが撤退とか話を聞いた後だったので
若干の面白さを感じた。出雲大社はありがたいが、どうしてスタバはニュースになってしまうほど重要なのだろうか。確かに田舎では有難い(めったにない)ものではあるが。


実は鳥取のほかにもう一つスタバが初出店した場所がある。







それがイタリアのようだ。


スターバックスが進出したのはオリンピックも開かれたイタリアのトリノで、
ミラノ、トリノ、ジェノバとイタリアの重要な産業地帯を形成し、都会的な場所である。

私はイタリアに行ったことはないが、歓迎している人と否定派の人たちが存在し、
「イタリアには独自のコーヒー文化があるのに」という人もたくさんいるし、イタリアンコーヒーの本場であるからだそうだ。

(スタバはイタリアの影響を受けているらしい。そしてイタリア人は外国のコーヒーショップなんぞイラネって思っているとか言われていた。)

 
あと、イタリアについての質問あるなら、これが一番面白かった。文化的な背景もわかるかもだし




まぁとにかくオーストラリアもイタリアも独自のコーヒー文化を持っていてそれがよく根付いているらしい。

イタリアのコーヒー文化はどういうものかというとイタリアにはBarというコーヒー屋さんがあり、いつでも気軽に入ってコーヒーを飲む。それで立ち飲みでコーヒーを飲んですぐ出ていく。長居はしないようだ。


逆にスタバの強みとして、サードプレイスが挙げられるが、これはイタリアのコーヒー文化とは真逆で、家庭(ファーストプレイス)、職場や学校(セカンドプレイス)、そしてその中間にある場所としてThe Third Placeが存在し、ゆったりくつろいでもらうとかそういうことが目的とされているようだ。

なので、都会的なトリノに初進出ということなのかもしれない。



スタバではThird Placeとしてお客さんに自分の場所のようにくつろいでもらうために、空間が作られていて、スタバで仕事したり、本を読んだりということができ、長居することが前提となっているのかもしれない。


ちなみに電通総研のリサーチでサードプレイスとはということを調べた結果が出てたので、
これを日本人がサードプレイスについてどう考えているかという参考にしてみたい。
http://dii.dentsu.jp/archive/trendbox/2007/070625.html

どうも結論だけ見てしまえば、日本人がThird Placeに対して持っているイメージは「癒し」と「一人きり」ということらしい。FirstとSecondは日本人にとって現在はどんな場所なのかということも出ている。そして、「役割から解放されている状態」というのもキーワードになるようだ。

逆にコーヒーショップがThird Placeとなりうるなら、イタリア人やオーストラリア人にとってのFirst PlaceとSecond Place、そしてイタリア人にとってのThird Placeはどういうものかというのはとても気になる。


ブランド物についての話

私が思うに、日本人はとても新しいものが好きだと思う。マクドナルドが新しいかどうかはわからないが、まぁ戦後の歴史から見れば新しいものだと思う。たまに田舎自慢をするときに、「マクドがないとか、スタバがないとか、セブンがないとかで、自分の地元がどんなに田舎か強調する場面を見たことがある。」それは、マーケットになる十分な人口がいないとか、新しいものを受け入れないとかそういうことを伝える意図が裏にあるのかもしれない。

ただ、今シンガポールに住んでいる私からすれば、オリジナルのコーヒーショップはあまりない(ホーカーにコーヒー屋さんはあるけど、店舗に行きたい)し、マックも、バーガーキングもあるけど、オリジナルのものがとても少ないように思える。なんか多様性がいまいちだと思う。

原因は家賃がとても高いとか、新しいお店に人がこないとか、生活がパターン化されているとかいろいろあると思う。近所の新しくできたベトナム料理屋が6か月で潰れたのがショックだった。

こういう状況が続くとちょっとうんざりしてくるし、地元のお店の大切さとかがわかってくると思う。
なので、鳥取の皆さんにも地元のお店大切にしてほしいなって思ってます。

 

2014年7月17日木曜日

#gazaunderattack

どうもイスラエルがまたガザ地区を爆撃しているらしい。

異民族が暮らしているにしても、自分の国の国土で一般市民が暮らしているところを爆撃しているなんて世界でもここだけじゃないんだろうか。

この問題についていろいろググっていたら、私の気を引いたものは1900年代のパレスチナ(現イスラエル)の写真だった。



http://www.israeldailypicture.com/2013/02/welcome-to-tiberias-home-of-david-w.html
http://matome.naver.jp/odai/2136350437131943401



学校ではなんとなく、ユダヤ人が住むところを追われて、ユダヤ人が住むところを取り戻したとか習っていた。たしか、バビロン捕囚あたり。

だけど、受験のために簡単にあっさりと教わった知識で全てを描写できるわけがなく、
私の知識には矛盾が生じている。なんとも新鮮な感じだ。そして書き換えが始まっている。

実際は共存していた。少なくとも病院の中では今のように人と人の間には壁は存在していない。


 


パレスチナの土地は荒涼としているけど豊かそうな感じだ。


そして、対立の後和平合意には至ったのだが、アラファト議長の死後、壁は作られた。




きょうび、電波は壁を越えている。私たちでもガザ地区の様子をTwitterから覗くことはできるかもしれない。#gazaunderattackでその様子は見れるかもしれない。


これは時に非常にフィルターのない情報になりえると思います。
あなたの部屋のモニターに絶対に映らない映像とか写真とか、言葉、ニュースなにもかも。

私たちもまた情報の壁の中に入れられて隔離されているのかもしれません。

私の友人がイエメンとかヨルダンとか行っていろんなことをFacebookに上げてくれます。
シンガポールの人の投稿はわりとどうでもいいことが多いのですが、
その中から私は彼のUploadを探し出します。

そんな友人たちに私は感謝しています。私たちを価値観の、
情報の壁から出してくれるのは彼らみたいな存在です。


多くの関心のある人がインターネットの片隅からなにかみつけて、なにか考えてくれることをお祈りしています。


 

2014年7月12日土曜日

初夏の日本で起こっていること



最近海外からですが、FacebookなどのSNSで集団的自衛権に関する意見を目にします。



一連のニュースやテレビや日本の人々の様子を見て浮かんだ感想は…



















やっぱり台湾の立法院(国会)占拠ってすごかったんだなっていうものでした。




彼らはやることは日本より大胆でした。
日本では国会や首相官邸を取り囲んデモをしてましたが、彼らは国会そのものを占拠したからです。









その大胆さと同時に彼らは民主主義に配慮していました。
彼らが問題にしたのは、サービス協定(TPPみたいなもの)が結ばれて、その先に待っている未来と、そして同時に問題にされたのは







プロセスだと思います。
 
 




台湾では、馬英九国民党のやったことを黒箱服務といって、重要な事項にも関わらず国民や議会が決定のプロセスに関わることなく勝手に物事が決定したことを問題にしました。

サービス協定に反対か賛成に関わらず、プロセスは問題視されるべきだからだと思います。
 
 
 
 
 
海外にいるので、日本のテレビは見ていませんが「戦争は嫌だ‼」とかテレビで芸能人が叫んでて
論理もクソもないんだろうなぁと考えています。みんな戦争はいやです。




戦争をしないために、憲法はあるし、集団的自衛権もある意味戦争への制止力としてあるのかもしれません。


考えは人それぞれ違います。







最近アジアで起こった印象に残っている抗議運動を集めてみました。



未来を創るのは法、法を作るのはプロセス


まず記憶に新しい台湾の立法院

当時の台湾の写真を集めてみました。



ECFA要公投〔国民投票が必要〕 破黒箱〔黒箱を破れ〕
誰も知らないなか議会をひとりでに通過したので「黒箱」と呼ばれています。

またECFA反対とか「今日ここで立ち上がらなかったら明日立ち上がることはできない」
というメッセージも見受けられます。

プロセスは問題視されていますし、彼らの必死さを感じ取ることができます。
また、関心の高さも窺い知れるでしょう。


自分たちは何を主張し、何を問題視するのか

2012年 香港:反国民教育運動

2012年に香港の教育現場と現役学生から始まった運動で、
中国政府が認定している教科書とカリキュラムの香港への適応に抗議した運動で、
反洗脳教育運動と呼ばれています。

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10151231197102448&set=a.170516952447.149676.105259197447&type=3&theater
 
 
 
 
 
その時に、大学生が六四天安門で使われた自由の女神を持ち込んだようなのですが、中高生の団体によって即時に撤去されました。香港で民主政治よりの某Apple Dailyが上の写真のような記事を配信し、香港市民の反感を買いました。
 
 
どんな感じなのかは、Facebookのコメントを見ればわかるかと思います。
 
ちょっと話それますが、日本のマスメディアは炎上するのが怖いのか、インターネットでもコメント欄のないニュースページが多いですね。2ちゃんねるみたいにたくさん人が来て良いと思うのですが(笑
 
 
抜粋するとこんなコメントがありました。
 
請問你地,何來有「民主女神來打氣」之意?只是將反洗腦運動性質更複雜,
 
すみません。自由の女神が応援しに来るってどういう意味ですか。
これは反洗脳運動の性質をさらに複雑にしています。
 
 請蘋果日報不要傷害學民思潮﹗
 
蘋果日報は學民思潮を傷つけないでください。
 
 
つまり抗議する際は何を抗議するかということがとても重要です。
中国の国民教育に反対する運動に「自由の女神」を持ち込んで中国や香港の民主化運動と混合するようなことはしてはいけません。
 
 
そして、アップルデイリーも香港で特定の政党を支持しているメディアですが、学生運動は特定の政党とは関係ありません。
 
 
また、台湾の時でも学生の代表は「民進党が私たちと一緒に政府を追及するのはかまわないが、私たちは民進党とは関係がない」と発表しました。
 
 
つまり、自分たちには自分たちの立場があって、特定のTopicを問題にしているよということでしょう。
 
 
また、この學民思潮という団体を結成しているのは中高生で、自由の女神を追い払ったのも中高生です。
 
ここに詳しく書いてあります。勉強になりました。
 
 
 
では日本の集団的自衛権に関する抗議活動を見てみましょう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 



残念ですが、よくわからないんですね。

どっちかというと左翼団体の集会にしか見えない・・・

http://www.youtube.com/watch?v=Ov7WCG2RCmA

これも見てみました。

よくわからないです。戦争反対ですね。そうですね。なんか叩いてますね。
みんな戦争は嫌だと思いますよ。

政治団体入っちゃうとまぁ政治活動にしか見えないですね。
〔というか政治活動なんでしょうね〕




今回は解釈改憲ですか、戦争反対ですか。




たぶん解釈改憲に対して問題提起をしているわけではなさそうです。

Facebookなどもたまに見ているんですが、あまり理性的で30分くらい考えて投稿してみましたみたいな感じのものは見受けられません。

(さっきの香港反国民教育の時の投稿と同じような感じのものって見てません。)


あまり考えないで書き込まれたものが多いですね。

もう少し理性的になって、ことの背景から問題点から、外的要因、内的要因から考えてみた方が良いのではないでしょうか。



解釈改憲について


今回私が問題だと思っているのは解釈改憲です。
この是非について議論があっても良いのではと思っているのですが、
前述の「戦争反対!!」って叫んでるせいか国民の脳内から消えつつあるトピックです。

叫びながら考えるって難しい、というかできない。

(ちなみに私は「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては」と書いてあるので現状自衛隊は合憲だと思っていますが、これも議論の範疇に入るからでしょうか。でも自衛隊法はすでにありますね。)



「なんで? 集団的自衛権いいじゃん」って言ってる人も多いですが、その話してませんし、

憲法って何も九条だけではありません。






例えば27条

第二十七条  すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。

で明日から共産主義や社会主義の政党が政権をとって解釈改憲で・・・

って考えると恐ろしいかもしれません。

ニートは憲法違反ですか。そうですか。

(例えが悪くて申し訳ございませんが)




もし、集団的自衛権の行使や個別自衛権について、状況が許さず憲法が現実に合わないのなら、
正当なプロセス、つまり国民投票に基づいて、憲法を改正する必要があります。

もし、憲法改正なしに、それと同じ効果を得られるのなら、悪しき前例になりかねないと思います。




私事で申し訳ありませんが、私が海外にずっと住んでいる理由の1つは日本の民主主義の雰囲気に耐えられなかったからです。


311以降の菅さんを支持しろコールのキャンパスやテレビの世論は非常に均一で、
みんな考えてから話してるのかなと疑問に思いました。

なんかロボットみたいなイメージです。

今回も同じような感じかなって気がしてしまっています。





台湾や香港での運動を見ていると、とても民主主義的で主張について配慮があり、周りの人もそれをよく知ってます。


その学生でも知っている民主主義の基礎の部分を、私も含めて、日本の大人は知らないのかなと思います。


残業で考える時間も不足してますし、今の家庭や学校の教育で考える能力も不足していると思います。


勝手で申し訳ありませんが、将来結婚して、自分の子供がこんな感じになってしまうなら、
日本人としてのアイデンティティを持ってほしいけど、日本の学校には行かせたくないなとか考えてしまいます。



働くだけ働いて、意見も持てなくて、知らないうちに周りの世界は変わっていく。
なんか悔しくないですか。



日本で議論を呼ぶトピックとなっている集団的自衛権ですが、
残念ながら、それを通して考えた現状について、結論は、

日本の民主主義は台湾や香港と比べて劣っているなということでした。



私はいつか日本に帰って国に貢献したいと思っています。
私の日本に帰りたいという思いの強さと捉えていただき、
一人の日本人の主張として、心の片隅に置いていただければ幸いです。

 


2014年6月27日金曜日

故宮博物院「ポスター改竄」事件

東京国立博物館で24日に開幕した台北国立故宮博物院―神品至宝展であるが、実は前日まで中止の危機にあったことは日本では知られていないようだ。

その原因は宣伝ポスターで新聞広告などから「国立」の文字を削除したことによる。

台湾が国として扱われることに対して反発する中国への配慮だ。

共同通信の報道によると、東京国立博物館のポスターには「台北国立」の表記があったが、問題のポスターは主催者としての日本メディア各社が作成したものだ。


ホームページに行くと主催者と特別協力の社名は確認できる。
しかしまぁ見事に・・・ですね。

台湾の国民党政権の指示によって、21日までに「国立」の文字を入れなければ中止と通告したようだ。

その後東京国立博物館側が謝罪し、23日から開幕日の24日の間にポスターに「国立」と付け加える作業をし、台湾側が折れてくれたらしい。
















一方で台湾ではそのような国民党政権に対して冷たい目線が注がれているらしい。
日本では「国立」の二文字にこだわったが、中国では「国立」なんてなくても文句は言わないし、馬英九総統は国家主権すら守る姿勢すらみせないじゃないかということらしい。

中国国民党はもちろん中国の政党なので、立場的には中国だが最近中国共産党にすり寄る姿勢はすさまじいらしい。前回の議場占拠でもあったように、民主的なプロセスを歪めてまでも中国を優先している。

台湾のネット上の風刺画みたいなやつ


実は台湾の人もNHKとか朝日や毎日などは中国よりで公正明大なんてとんでもないメディアだということを知っていて、今回も「馬桶(馬英九のことらしい)も日本のメディアも今の親密な日台関係を良く思っていないんだから利害が一致するじゃん」と指摘してくれた人もいた。

私も現総統は中国寄りで大学で「いかに尖閣諸島は中国の領土か」って論文書いちゃうほどの人だっていうのは知っている。

今回の教訓は日本も台湾もお互いをよく理解できているなら、煽動に乗らないでいらない争いを避けることができるということだと思う。

また、相互理解の大切さと今までの繋がりが他の国家間では見られないような有難いものだと認識できた。

2014年4月30日水曜日

Devdasとは

 Devdasとは1917年にSharat Chandra Chattopadhyayによって書かれた小説。
インドで映画化されている。原作の小説後はベンガル語だが、映画はヒンディー語だそうな。

映画では主人公はロンドンへ留学するが、小説ではカルカッタ(コルカタ)に勉強しに行くなどの違いもあるらしい。映画化されたDevdasは2002年最高傑作とかいう人もいるくらい有名な作品になった。



このダンスシーンもDevdasをヒットに押し上げた要因らしい。

インド映画産業と音楽

インド映画と音楽は切っても切り離せないくらいのものだと思っている。
インドで映画もヒットすれば劇中のダンスシーンで使われている音楽も売れるらしい。
映画音楽の映画は今ではItunesでも買える。Tシリーズとかが有名な配信会社だった気がする。
着メロとかでもいけるのかは不明。シンガポールでそれっぽい着メロの人はたまにいるけど。

Devdasから見るインド社会

結婚が絡んでるだけあって、この作品からインド社会はよく垣間見れるのかもしれない。
例えばインドにはダウリーって制度があって、女の人が結婚するときに、その女の人の家族は男性の家族にいろいろな金品や家具などを用意する。

本来はその女性を送り、生活するために必要なものをそろえてあげるという感じの制度だったが、資本主義的な悪乗りで悪習と化していることもあるらしい。
インドでは一家の主の財力を示す機会でもあるので、見栄的な要素もある。

だが、この作品の場合は逆ダウリという感じになっている。
インドのとある地域でも逆ダウリはあるらしい。これは女の人の家庭に男の人の家族が何かを差し出すというもの。現代では最近地主の家の男性と小作農の家庭の女性が結婚する際に、ダウリとして土地を要求し、もめたらしい。

この作中では「娘を売って金を」という感じの言動から、その習慣を嫌悪している人がいることもわかる。

結婚には、家柄とかダウリとか、まぁ世間体に関わるいろいろなものがついてまわる。
そして、結婚を決めるのが家族だということもわかるだろう。

そう人は結婚するものなのだろう・・・

まぁ話の内容は

決してハッピーではないと思う。どうしょうもない現実とか、運命とかに・・・
でも、一度読んでみて損はないと思う。実際に10時からこのブログを30分で書くつもりが、もう1時に・・・ 

ストーリーは下のサイトで

http://www.koredeindia.com/index.html

Home→文学館→Devdasで読むことができる。


そしてDevdasは・・・

2014年3月23日日曜日

民主主義はいかに護られるべきかという議論


現在台湾で立法院(台湾の国会)を学生が占拠し、両岸サービス業協定の強行採決に反対しています。

まぁいつも通り、日本ではあまり報道されていないようですね。本当に彼らは使えません。中国の方が台湾と比べて明らかに市場が大きいですし、金儲けを考えれば確かに魅力的ですが、倫理的にいただけないように思います。

Naverのまとめとかもありますし、関心さえ持てば自分で情報を探せる時代です。「ご教示ください。よろしくお願いします」なんて馬鹿なこと言ってないで検索しましょう。

現在台湾では南から北まで、様々な抗議運動が展開され、台北では立法府前に2万人が集まり、平日、仕事を終えた市民も彼らに加勢しました。

また、台南の国民党支部前や、高雄の美麗島などでも抗議運動が展開されました。

ちなみに、ここで抗議されている両岸服務貿易協定というのは台湾と中国(というより中国国民党と中国共産党?)の間で結ばれるかもしれないTPPに近いもののようです。

協定締結後のインフラやインターネット回線などによる国防への影響と、低所得者層への広範な影響が懸念されるため、野党の民進党と国民(自由時報の調査によると国民の70%)が協定の締結に際して、立法院(国会)での審議を要求していました。
3月18日、この協定に対する内部評議会が予定されていたが、両党間での分叫が壮絶を極めたため、結局評議会は開かれなかったが、その日の午後に中国国民党の張慶忠院長が突然、協定の可決と立法院の通過を宣言したため、明らかに不当な採決に市民と学生が抗議を決意し、今に至っているようです。
強行採決というには生ぬるいですね。採決すらしていませんから。

日本でも私の記憶の中では、民主党の時代に、民主主義のプロセスを無視するような事業仕分け(予算委員会は何のためにあるんでしょうね)や鳩山首相が勝手に国際会議に参加し、二酸化炭素25%削減を約束し、拍手を貰うなど挙げてみればきりがありませんが、


日本人は明日をみつめ、今日起こったことを無視して、忘れようとしてきました。


私が子供のころ、よく家に父親の友達や知り合いが集まって、酒を酌み交わしていました。一人は警察官で、一人は建築業、もう一人はサービス業です。

彼らは政治の話になると「誰が政治家になっても一緒だ」とか、警察とパチンコの話になると「パチンコはやくざと繋がらないように警察官を採用する」などと言ったように、諦めや現状の問題を肯定するような態度で話していました。

彼らは政治に不満があるようですが、政治についてもっとよく知ろうとか勉強しようとかそういうつもりは、全くありません。

日本人の大人が興味を持つのは会社の数字と今日の仕事だけかと思いました。私は彼らを見て、「大人ってそういうものだ」と逆にあきらめを覚えました。

どんなに格好が良い大人でも、社会について無関心で、それでいて「自分は大人だ」という体裁は整えられるのかもしれません。


私のそのような過去を顧みると、台湾の人々は本当に素晴らしく輝いて見えます。子供の未来と郷土、社会と民主主義のために、彼らは行動を起こしています。
そして抗議行動は非暴力的で、とても民主主義が生きています。

なによりも誰もが自分の社会に関心を持っています。

現在、立法府の中では様々な職業の人々がいます。そして、抗議者の活動を支えています。
また、香港からも台湾を香港の二の舞にしないようにという思いで応援に駆けつけている人もいます。
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立法府の中には医師団体が入っていて、学生を勇気付けています。



また、弁護士団体は学生がつかまった場合は45分以内にかけつけると宣言し、現在は立法府の中にも弁護士がいるような状態です。
それぞれの国民がそれぞれの立場からできることをしています。

日本人の立場から彼らを見ていると本当に泣けます。彼らにはぜひ民主主義を守り通して欲しいと願ってやみません。

日本が震災にあったときも関心を持ち最大の支援を私たちは頂きました。その彼らが次は自分の国の問題に対して、自分たちができることしながら、戦っています。

黑暗他總會過去 太陽一出來仍然會是好天氣 你有一個美麗的名字

私たちは彼らから何を学ぶべきなのでしょうか。



2014年1月19日日曜日

シンガポールのマイノリティリポートから



あぁ最近

Why I am not proud to be Singaporean


って動画をYouTubeの動画見てました。

なんか最近のシンガポールのマイノリティの世論として、
「シンガポール人であること」に対して疑問や不満が生じているようです。

彼女はSingapore is not a place for artistと言っているようで、
やはりシンガポールの教育システムから外れた道を歩く人への風当たりは厳しいようです。
彼女もeducation systemという点について語っているようで、やはり教育がその国の雰囲気やその国そのものを作っているということを最近よく実感します。

原因についての考察

私の足りない脳みそでこんなこといったら申し訳ないかもしれません。
でもそれなりに見解はあるので、恥ずかしながらここに書いてみようかと思います。

日本でもひょっとしたら同じかもしれませんが、シンガポールにもかつて景気の良い時代があったのか、それとも今が景気がいいのか知りませんが、
(私は「景気の良い時代があった」んだと思います)

「景気が良い」時には雇用も沢山生まれます。というか労働力不足です。
そういう状況ではできるだけ多くの「教育された」人々を労働市場へ送り出そうとするのです。

例えば40人のクラスで40人がビジネスマンで企業に雇われて働くという状況は理想的です。
もしそのうち2人がアーティストになりたいとか、5人がバンドを組みたいといったら
40-7=33で33人が(取引があるという意味での)労働市場に送り出され、働きます。

アーティストとしての生活をリスキーと考える人もいるかもしれませんが、人には本来、職業選択や思想良心の自由があります。そのため、その人に「自発的に」職業選択をさせなければなりません。

そこで役に立つのは教育です。教育によってその人の価値観を形成し、自発的に40人にビジネスマンの道を歩かせなくてはなりません。
(悪く言えば量産型です。Homework Robotというかなんというか。かわいそうなのは彼らに意思があることです。彼らも人間です。)

できれば、家(HDB)を買って、車を買って、お金を沢山稼ぐことが幸せで、幸せになるには今の教育システムの上で頑張るのが近道って思わせられれば理想的です。
(一部の?女性の?金持ちと結婚すれば幸せって思想もここから来るのかもしれません)

彼らは借金をしてローンを組み、車や家を買ってお金の鎖に縛られます。もう働くことから逃げられませんね。

そのような教育を受けたmajorityの中で、そしてmajorityのために作られたシステムの上でマイノリティとして生活することについて、まだ私の見解はできあがっていませんが、「難しい」ように感じます。

例えば日本の年金制度は自営業だと全額ですが、会社で働くと支払う金額は会社と折半になります。シンガポールにも同じような制度があるようです。

その中で、マイノリティも生活をしていく結果出た不満がさっきのリンク先の動画のようなものかと思います。ときにシンガポールのマジョリティと価値観をすり合わせるのは私(日本人の20代)自身とても難しいと感じます。

景気の良い時代は日本もシンガポールも「経済成長を前提」にして制度や教育を組みます。
そして、その「経済成長」を前提にした価値観を信じている親から次の世代が生まれるかもしれません。
(皆がみんなそうではないので・・・)

親世代の言うことや社会の雰囲気を信じきちゃっている人、疑っている人様々ですが、日本もシンガポールも教育に関して「改革」が起こっているのかわかりません。
(人間は社会を作る生き物ですから。)

日本では、私の学生時代は以前と比べて「ゆとり教育」とか言われているものの、教育スタイルなどが依然と変わっているのか、本質はどこにあるのか、という点については疑問でした。

私の親世代も経済成長前提の価値観を信じているし、学校の先生や教育も「変化していない」のかもしれません。私たちの教育は受身過ぎると感じているシンガポール人や日本人に今まで何度も会ってきました。

(最も強いものが生き延びるのではなく、最も賢いものが生き残るというものでもない。唯一生き残れるのは、変化できるものである チャールズ・ダーウィン)


そして今は・・・

ですが、残念ながら、子供たちは親の時代ではなく、まぎれもなく「今」を生きているのです。

今は2008年以降、景気も悪くなり、私たちは今までの価値観に疑問を持っているのかもしれません。(疑問を持っていない人は沢山います。素直な良い子たちです。)
でも、経済成長前提のストーリーなんで絵空事です。フェアリーテイルには教訓がありますが、
このストーリーにどのような価値があるのでしょうか。

今、自分の夢や目的を持って、自分で道を選択し生きる人々が以前より増えてきたように思います。

広い世界や、多様な価値観に触れ、自分の道を進むこと、人生という海を自分のやり方で航海することが求められているこの時代に、今までの価値観を押し付けることなんてできないと信じています。

私は彼らが次の時代を、より良い時代を作ることに期待しているのですから、希望を潰すことなんてできません。
現状維持でなんか良くなるとは思えないので

さて次の日本はどこへ行くのでしょうか。
思い立ったら吉日、自発的に考え、行動してみる時です。