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2014年7月12日土曜日

初夏の日本で起こっていること



最近海外からですが、FacebookなどのSNSで集団的自衛権に関する意見を目にします。



一連のニュースやテレビや日本の人々の様子を見て浮かんだ感想は…



















やっぱり台湾の立法院(国会)占拠ってすごかったんだなっていうものでした。




彼らはやることは日本より大胆でした。
日本では国会や首相官邸を取り囲んデモをしてましたが、彼らは国会そのものを占拠したからです。









その大胆さと同時に彼らは民主主義に配慮していました。
彼らが問題にしたのは、サービス協定(TPPみたいなもの)が結ばれて、その先に待っている未来と、そして同時に問題にされたのは







プロセスだと思います。
 
 




台湾では、馬英九国民党のやったことを黒箱服務といって、重要な事項にも関わらず国民や議会が決定のプロセスに関わることなく勝手に物事が決定したことを問題にしました。

サービス協定に反対か賛成に関わらず、プロセスは問題視されるべきだからだと思います。
 
 
 
 
 
海外にいるので、日本のテレビは見ていませんが「戦争は嫌だ‼」とかテレビで芸能人が叫んでて
論理もクソもないんだろうなぁと考えています。みんな戦争はいやです。




戦争をしないために、憲法はあるし、集団的自衛権もある意味戦争への制止力としてあるのかもしれません。


考えは人それぞれ違います。







最近アジアで起こった印象に残っている抗議運動を集めてみました。



未来を創るのは法、法を作るのはプロセス


まず記憶に新しい台湾の立法院

当時の台湾の写真を集めてみました。



ECFA要公投〔国民投票が必要〕 破黒箱〔黒箱を破れ〕
誰も知らないなか議会をひとりでに通過したので「黒箱」と呼ばれています。

またECFA反対とか「今日ここで立ち上がらなかったら明日立ち上がることはできない」
というメッセージも見受けられます。

プロセスは問題視されていますし、彼らの必死さを感じ取ることができます。
また、関心の高さも窺い知れるでしょう。


自分たちは何を主張し、何を問題視するのか

2012年 香港:反国民教育運動

2012年に香港の教育現場と現役学生から始まった運動で、
中国政府が認定している教科書とカリキュラムの香港への適応に抗議した運動で、
反洗脳教育運動と呼ばれています。

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10151231197102448&set=a.170516952447.149676.105259197447&type=3&theater
 
 
 
 
 
その時に、大学生が六四天安門で使われた自由の女神を持ち込んだようなのですが、中高生の団体によって即時に撤去されました。香港で民主政治よりの某Apple Dailyが上の写真のような記事を配信し、香港市民の反感を買いました。
 
 
どんな感じなのかは、Facebookのコメントを見ればわかるかと思います。
 
ちょっと話それますが、日本のマスメディアは炎上するのが怖いのか、インターネットでもコメント欄のないニュースページが多いですね。2ちゃんねるみたいにたくさん人が来て良いと思うのですが(笑
 
 
抜粋するとこんなコメントがありました。
 
請問你地,何來有「民主女神來打氣」之意?只是將反洗腦運動性質更複雜,
 
すみません。自由の女神が応援しに来るってどういう意味ですか。
これは反洗脳運動の性質をさらに複雑にしています。
 
 請蘋果日報不要傷害學民思潮﹗
 
蘋果日報は學民思潮を傷つけないでください。
 
 
つまり抗議する際は何を抗議するかということがとても重要です。
中国の国民教育に反対する運動に「自由の女神」を持ち込んで中国や香港の民主化運動と混合するようなことはしてはいけません。
 
 
そして、アップルデイリーも香港で特定の政党を支持しているメディアですが、学生運動は特定の政党とは関係ありません。
 
 
また、台湾の時でも学生の代表は「民進党が私たちと一緒に政府を追及するのはかまわないが、私たちは民進党とは関係がない」と発表しました。
 
 
つまり、自分たちには自分たちの立場があって、特定のTopicを問題にしているよということでしょう。
 
 
また、この學民思潮という団体を結成しているのは中高生で、自由の女神を追い払ったのも中高生です。
 
ここに詳しく書いてあります。勉強になりました。
 
 
 
では日本の集団的自衛権に関する抗議活動を見てみましょう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 



残念ですが、よくわからないんですね。

どっちかというと左翼団体の集会にしか見えない・・・

http://www.youtube.com/watch?v=Ov7WCG2RCmA

これも見てみました。

よくわからないです。戦争反対ですね。そうですね。なんか叩いてますね。
みんな戦争は嫌だと思いますよ。

政治団体入っちゃうとまぁ政治活動にしか見えないですね。
〔というか政治活動なんでしょうね〕




今回は解釈改憲ですか、戦争反対ですか。




たぶん解釈改憲に対して問題提起をしているわけではなさそうです。

Facebookなどもたまに見ているんですが、あまり理性的で30分くらい考えて投稿してみましたみたいな感じのものは見受けられません。

(さっきの香港反国民教育の時の投稿と同じような感じのものって見てません。)


あまり考えないで書き込まれたものが多いですね。

もう少し理性的になって、ことの背景から問題点から、外的要因、内的要因から考えてみた方が良いのではないでしょうか。



解釈改憲について


今回私が問題だと思っているのは解釈改憲です。
この是非について議論があっても良いのではと思っているのですが、
前述の「戦争反対!!」って叫んでるせいか国民の脳内から消えつつあるトピックです。

叫びながら考えるって難しい、というかできない。

(ちなみに私は「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては」と書いてあるので現状自衛隊は合憲だと思っていますが、これも議論の範疇に入るからでしょうか。でも自衛隊法はすでにありますね。)



「なんで? 集団的自衛権いいじゃん」って言ってる人も多いですが、その話してませんし、

憲法って何も九条だけではありません。






例えば27条

第二十七条  すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。

で明日から共産主義や社会主義の政党が政権をとって解釈改憲で・・・

って考えると恐ろしいかもしれません。

ニートは憲法違反ですか。そうですか。

(例えが悪くて申し訳ございませんが)




もし、集団的自衛権の行使や個別自衛権について、状況が許さず憲法が現実に合わないのなら、
正当なプロセス、つまり国民投票に基づいて、憲法を改正する必要があります。

もし、憲法改正なしに、それと同じ効果を得られるのなら、悪しき前例になりかねないと思います。




私事で申し訳ありませんが、私が海外にずっと住んでいる理由の1つは日本の民主主義の雰囲気に耐えられなかったからです。


311以降の菅さんを支持しろコールのキャンパスやテレビの世論は非常に均一で、
みんな考えてから話してるのかなと疑問に思いました。

なんかロボットみたいなイメージです。

今回も同じような感じかなって気がしてしまっています。





台湾や香港での運動を見ていると、とても民主主義的で主張について配慮があり、周りの人もそれをよく知ってます。


その学生でも知っている民主主義の基礎の部分を、私も含めて、日本の大人は知らないのかなと思います。


残業で考える時間も不足してますし、今の家庭や学校の教育で考える能力も不足していると思います。


勝手で申し訳ありませんが、将来結婚して、自分の子供がこんな感じになってしまうなら、
日本人としてのアイデンティティを持ってほしいけど、日本の学校には行かせたくないなとか考えてしまいます。



働くだけ働いて、意見も持てなくて、知らないうちに周りの世界は変わっていく。
なんか悔しくないですか。



日本で議論を呼ぶトピックとなっている集団的自衛権ですが、
残念ながら、それを通して考えた現状について、結論は、

日本の民主主義は台湾や香港と比べて劣っているなということでした。



私はいつか日本に帰って国に貢献したいと思っています。
私の日本に帰りたいという思いの強さと捉えていただき、
一人の日本人の主張として、心の片隅に置いていただければ幸いです。

 


2013年3月27日水曜日

マレーシア首相、違法なインド系団体のリーダーと会談する

2013年3月23日、マレーシアのナジブ・ラザク首相はヒンドゥー権利行動隊(HINDRAF)と会談した。

現在マレーシアでは第13回総選挙に向けて議会の解散が控えている。この会談は、おそらくインド系コミュニティからのサポートを強化することを目的と、Malaysiakiniというニュースサイトが報じた。


HINDRAFは非政府組織の連合で、地域社会からインド系コミュニティが疎外されていることを強調するために、2007年11月に首都のクアラルンプールで3万人以上のインド人を動員し、デモを行った。


その後、前政権であるアブドラ政権の下、内務大臣のサイードハミド·アルバーによってHINDRAFは2008年10月に非合法化された。その際に、マレーシア政府は、公共の秩序、安全保障と国の主権と同様に放置した場合、マレーシアにいる、マレー系、インド系、中華系などの人種の調和を乱すとしてHINDRAFの違法化について説明した。


現在、HINDRAFのチーフ、WaythamoorthyはHINDRAFの五カ年計画の青写真についての協議のために3月22日にナジブ・ラザク首相からの招待を受けている。
「HINDRAFのリーダーたちの間での議論の結果、招待を受け入れることを決めた。」 とHINDRAF顧問N GanesanはMalaysiakiniに語った。


HINDRAFは、以前インド系の貧しい人々を支援するために、その青写真を強調する反対同盟Pakatan Rakyat(pakatanは連合、rakyatは人とか人民とか国民とかの意味)の指導者と会談していたが、交渉は行き詰まった。
マニフェストにHINDRAFの要求のいくつかを追加したものの、野党指導者アンワル·イブラヒムは、HINDRAFの青写真を全面的に支持することに消極的に思えたそうだ。
Malaysiakiniとの最近のインタビューで、「Waythamoorthyは連立与党(UNMO)がPakatan Rakyat(アンワル氏がいるとこ)に比べると、その協力への道のりは長いものになる」と、選挙協定の可能性を一蹴した。しかし、彼は「首相がHINDRAFの要求を満たす必要があり、Barisan Nasional(国民戦線)にHINDRAFの考える青写真について提案する」と述べていた。

ナジブ・ラザク首相、その功績

ナジブ氏は2009年に就任して以来インド人コミュニティとの融和のために努力してきた。

また、イスラムの国、マレーシアの首相。政治家という立場から東南アジアとそのイスラム社会のために貢献してきた。

フィリピンの南方、ミンダナオ島で1970年から30年間、キリスト教徒が多数を占めるフィリピンから独立を果たそうとモロ・イスラム自由戦線は戦いを繰り広げていた。フィリピン国軍は掃討作戦を繰り広げ、解放戦線は高架鉄道を爆破し、フィリピンは今よりもずっとテロと紛争、そして誘拐事件の脅威に晒されていた。
 
(モロというのは以前のスペイン人によって呼ばれたイスラム教徒の総称)

この歴史的背景は1450年のスールー王国まで遡る。

2001年、ナジブ氏はマレーシアの首相として双方の間を取り持ち、双方の勢力は和平に至った
イスラム自由戦線は自治権を得て、もはや独立は求めていない。

この時ナジブ氏は、“The agreement will ensure that the Bangsamoro people will enjoy the dividends of peace, which they rightly deserve,In turn, they should respect their fellow Filipinos of Christian faith, as moderation is the true Islamic way.”となんかかっこいいことを言っている。

 東南アジアにはその国の多数派の宗教とは異なるマイノリティの宗教が独立を求める構図が多い。多くはその起源は欧米の植民地以前にある。

元パタニ王国で仏教国タイの中にあるマレーシアとの国境沿いの地域でもテロが起きている。タイのシナワトラ首相はクアラルンプールを訪問したときに、マレーシアにこの紛争問題の和平交渉の際に仲介をお願いしている。マレーシアはこの和平交渉をアレンジするとされている。

この先は選挙があるので、ナジブ氏が首相を続けるかどうかはわからないが、ナジブ氏の東南アジアの安定への貢献に私は期待している。

マレーシアの民族と歴史

中世、たぶん日本が朱印船貿易とかやってたころ、今のマレーシアの各地にスルタン(イスラム地域で言う首長というところだろうか?)の王国があり、モンスーン貿易で栄えていた。インドや中国から船が往来するため、昔から結構他民族な様相だった。今でもこのころのジョホール王国などは王国として、マレーシアのジョホール州として存在し、マレーシア連邦を形成している。

イギリスの植民地支配

マレーシアのクアラルンプール国際空港に着陸する飛行機からは広大なジャングルが見える。どんどん高度が下がるうちにそれは広大なゴムの木の森だということがわかる。世界史で習っていたプランテーションがそこにあり、「これでは経済が偏っても仕方ないな」と思わせるくらいの規模である。

この時、イギリスはインドから人を沢山連れてきた。主に彼らは炭鉱や鉱業などで働く。マレーシア北部のイポーなどは鉱山の町だった。また中華系は商業を従事し、マレー人は主に農場で働いていたため、その作物を取引するにあたり、華僑の人々が雇われた。

このころにマレーシアは更に多文化な地域となる。

マレーシアの独立

マレーシアはイギリスからマラヤ連邦として独立する。そしてマレー人と経済的に豊かな中華系の人々の経済格差から双方の対立が目立ち始めた。

そのためマレーシアでは経済の「affirmative action」として、そして華僑やインド系の立場からは差別的な政策として見られるブミプトラ政策が始まる。

やがて1964年の7月21日にマレー人と華僑は衝突し、死傷するものも出た。そして後の初代シンガポール首相で「マレーシア人のためのマレーシア」を訴えてブミプトラに反対したリー氏とプミプトラ政策(マレー人優遇政策)を推進していた当時の首相であるアブドゥル・ラーマン首相が公の場に現れ事態を収拾する。ちなみにラーマン氏は「その協力への道のりは長いものになる」とHINDRAFの代表に言われていたUNMOの政治家である。

この民族対立の収拾は絶望的になり、1965年、ラーマン氏は「忠誠しない州政府とは関係を断ち切る」としてシンガポールをマレーシア連邦から追放する。余談だが、シンガポールの独立を高校の先生は「日本からある日東京が独立してしまったようなもの」と教えていたが、それは真実とはかけ離れている。

その後、日本でも有名なマハティール首相の時代になる。マハティール氏は医者から政治家に転身し、医者時代は総合病院を辞職、開業医になり貧困層の診療に取り組んだ。そのため貧困や貧富の問題には敏感なのではないかと私は推測している。彼はラーマン氏の時代に「ラーマン氏はマレー人の生活向上に対して意欲的ではない」と批判している。また中華系とマレー人の格差を問題視していた。

私にもブミプトラ政策によって影響を受けている友人は多い。ブミプトラ政策ではマレー人が優先的に大学に入れるため、中華系の友人は台湾の大学に行っていたりする。また言語面でもマレー語のみが公用語なので、マレーシア出身の人同士ではインド系と中華系の人がマレー語で会話する場面もある。そのきっかけとして日本人の私が間に入っていたりもする。

またブミプトラ自体が中華系とマレー系の対立の結果生み出されたものという側面があるので、タミル語を話すインド系マレーシア人は蚊帳の外のような状態である。そしてインド系の住民はマレーシア政府から省みられることは少なかった。

このような状態がHINDRAFを生み出し、また民族対立の過去からマレーシア政府は彼らを違法な存在とした。HINDRAFとマレーシアにはこんな背景がある。

今マレーシアは民族間の関係という面において少しずつではあるが、進展が期待できるような感じがある。全てのマレーシア国民が互いの文化を尊重し、マレーシアを考え、仲良く平和に暮らせる未来が来ることを期待しよう。
 
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