2013年3月26日火曜日

中国・チョコレートの街

先日3月24日、中国の習近平国家主席はアフリカのタンザニアに到着した。主席になってから初のアフリカ訪問になる。また海外訪問はロシアに次いで二カ国目となる。

シンガポールのメディアは世界最大の石油産出国であるロシアとその消費国である中国のタッグというような視点から報道していた。その一方でアフリカの農業国であるタンザニアは他のアフリカ諸国と比べて、それほど資源が豊富とは言えない。

しかしながら、タンザニアと中国との関係は毛沢東の時代から始まり、タンザン鉄道などのインフラは中国の支援によってできた。そういう意味では非常に縁があり、訪問に適していると考えられるだろう。

この度の訪問ではタンザニアと中国の間で、タンザニアが中国から経済援助を受ける代わりに、タンザニアが領土問題などで中国の核心的利益(尖閣とかスプラトリー)とかの問題について中国を支持をタンザニアから取り付けたらしい。もちろんタンザニアも国連加盟国なので、このような外交の結果として我々がどのような結果を引き受けるのかということについてもよく考えなくてはいけないのかもしれない。

アフリカのチャイナタウン、中国のアフリカタウン

今やチャイナタウンは世界中にある。もちろんアフリカも例外なく。
チャイナタウンはガーナ、ケニア、マダガスカル、モーリシャス、モロッコ、南アフリカに存在するらしい。2006年にケニア中国学校というコミュニティスクールも開校したらしい。
中国のアフリカ進出は凄まじい。それを後押しするのは資源開発かもしれないし、中国の人権や民主主義などの条件を付けない外交なのかもしれない。
その要因の1つとして挙げられるのは中国の対外進出奨励政策である。中国企業のグローバル化と海外投資を奨励する。これを走出去政策という。逆に外資を勧誘するのは「引進来」というらしい。

中国はイケイケドンドンってイメージを持っている人は多いが、この走出去政策は意外と計画的で、1970年代後半から長期間に渡って、長いスパンで計画的に実施されてきた。共産主義とか民主主義ではない国でも優れたブレーンがいる場合は、へたな民主主義よりもずっと計画的なプロジェクトができる。民主主義国家がこれを超えるには国民一同猛勉強して考えるしかなさそうです。

 世界の工場である中国には「アフリカタウン」なるものが存在するらしい。アフリカタウンは中国の広州にあり、アフリカ-中国間の貿易商が多くいるらしい。広州はアフリカにとっての中国への玄関口なのかもしれない。ちなみに東アフリカの玄関はナイロビとかそんな感じ。

この広州にはアフリカの玄関のナイロビを初めとして、マダガスカルやカイロ、エチオピアにも航路があり、エチオピア航空やマダガスカル航空、ケニア航空などの飛行機が来る。日本の成田からアフリカに行く路線はエジプト航空のカイロ行きしか知らないので、それに比べるとえらい違いがあると思う。また、航路があるということはそれだけ2つの目的地間の人の行き来は多いということになる。(逆に中東以外からだと、ナイロビからは、ムンバイ、広州、ソウル、バンコクに飛行機が飛ぶ。)


このアフリカ人街が現地でなんて呼ばれているかというと、「巧克力城」と呼ばれている。
日本語にすると「チョコレートの街」と言ったような感じだ。

韓国人が北京の望京に住むように、日本人が上海の古北に住むように、アフリカ人は広州の小北に住むそうだ。

チョコレートの街の誕生

この街の始まりは90年代にアフリカ人が始めて広州に来て、安い中国製品を仕入れてアフリカに売り始めたのが始まりで、どんどん同じところにアフリカ人が集まり、アジア最大級のアフリカ人街を形成するようになったようだ。周囲には商店ができあがり、通りいっぱいに衣服や雑貨、コーンピーナッツなどの食べ歩きできるストリートスナックや食品などを売っているそうだ。
2010年の中国の官報によると広州のアフリカ人の人口は毎年30%から40%増えていっているらしい。

衝突

2009年7月。1人のナイジェリア人が警察から逃走した。警察は彼女を追跡し、その過程での事故で死んでしまった。その事件後、大勢のアフリカ人が警察署を取り囲み警察と睨み合った。中国が改革開放政策をしてから始めて、多数の外国人と睨み合うような事件が起きたのだった。

2012年にもひと悶着あり、その時はアフリカ人たちは路上でデモを行ったそうだ。

ライフスタイルの違い

中国人たちはアフリカ人のことをあまり好きではないそうだ。香水や体臭が臭いということを理由に挙げる人もいるが、最大の原因はライフスタイルが違いすぎることだそうだ。

アフリカ人たちは昼間に昼寝をして、夜はとてもアクティブだそうだ。中国人は夜はゆっくりと寝たいのに、彼らは音楽を流し、友人とダベり、酒を飲み、口論するのだそうだ。うるさくてやってられないとお金に余裕のある人たちは他所へ出て行ったそうだ。

アフリカ人たちの寝床

彼らが住居に払うお金は月300元だそうだ。彼らは周辺の古い住宅に住む。廊下は人が一人歩けるくらい。室内は蒸し暑い。シングルは300元、それに冷蔵庫やエアコン、家具がついて、ベットルームがあるアパートは1000元以上、そこに沢山のアフリカ人が住んでいるらしい。

偏見とChinese Dream

広州でタクシーに乗車拒否されるアフリカ人は多いらしい。しかし、ホテルで働いている人からすれば、アフリカ人に丁寧に、誠実に接すれば、とても多くのチップをもらえることもあるという。

アフリカ人の流入に乗って広州でアフリカ人のビザの手続きやサポートをする仕事をしているある男性はとても儲かっているという。中国の移民法はすごく厳しいが、彼らアフリカ人にとって法的な立場は中国で働く際にはとても重要になってくる。そして、中国人の従業員を雇っているアフリカ人経営者のビザは更新されるが、ほとんどの個人の自営業者は無許可で不法滞在な状態だ。

彼のように成功する人は稀だが、勤勉さや商才で中国人の尊敬を集めているアフリカ人は、地域社会のリーダーとなったり、委員会を設立し、メンバーの結婚式や葬式などのために会議を開き、いろいろと調整をしているようだ。

また、中国人の奥さんがいる人もいる。黒人男性と中国人女性がハーフの赤ちゃんを抱いている光景をよく見る。もしかしたら、アフリカ人男性とアフリカ人女性のカップルよりも多いかもしれない。
また、アフリカから妻を連れてきた人は、中国人のベビーシッターを雇っていることもある。

夢を見てアフリカに来た人の将来はどのようなものになるのだろうか。
とても気になる。

 

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