2013年6月20日木曜日

スマトラの煙、海を越える

 本日、シンガポールは一面煙に覆われている。原因はインドネシアのスマトラ島で、大規模な焼畑もしくは火災が発生しているためである。街で聞いた話によるとスマトラ島で大規模なプランテーションを焼いて、次の作物を植えるために土地を整地しているとか、大気の乾燥によって火災がおきているとか色々言われているが、原因は焼畑だと考えられる。

汚染値を示すPSIが321というクレイジーな状況下にあるシンガポールだが、なぜか通りを行きかう人々はマスクをしていない。マスクをもってくることをお勧めします。

今日はデパートなどはbusiness as usualという感じでした。店員さんがマスクをしていることを除いては・・・





なお、シンガポールのEnvironment and Water Resources MinisterのVivian Balakrishnan氏はインドネシアのMinister of EnvironmentのBalthasar Kambuaya氏に土地の所有権の地図と火災に責任を持つべき企業の名を挙げるようもとめている。

スマトラ島では以前から伝統的に焼畑をしていない人たちが森や木に火をつけ延焼を引き起こしたりする。また、森林を伐採するコストを火で焼くことによって簡略化する焼畑ではない行為が行われている。簡単に樹木に灯油をかけ火をつけ焼くのだ。その火は遠くシンガポールやインドネシアの島々、そしてマレーシアまでにも届き、健康被害や煙害をもたらす。法整備や取締りができていなかったりする現状や、「自分さえよければ」というモラルハザードな価値観が根底にはあると思う。


中国の黄砂で我々日本人も寛大な迷惑を被っているが、シンガポールにも同じような状況がある。この先、越境汚染への地球規模の対策はとても重要な課題になりそうだ。

2013年3月27日水曜日

マレーシア首相、違法なインド系団体のリーダーと会談する

2013年3月23日、マレーシアのナジブ・ラザク首相はヒンドゥー権利行動隊(HINDRAF)と会談した。

現在マレーシアでは第13回総選挙に向けて議会の解散が控えている。この会談は、おそらくインド系コミュニティからのサポートを強化することを目的と、Malaysiakiniというニュースサイトが報じた。


HINDRAFは非政府組織の連合で、地域社会からインド系コミュニティが疎外されていることを強調するために、2007年11月に首都のクアラルンプールで3万人以上のインド人を動員し、デモを行った。


その後、前政権であるアブドラ政権の下、内務大臣のサイードハミド·アルバーによってHINDRAFは2008年10月に非合法化された。その際に、マレーシア政府は、公共の秩序、安全保障と国の主権と同様に放置した場合、マレーシアにいる、マレー系、インド系、中華系などの人種の調和を乱すとしてHINDRAFの違法化について説明した。


現在、HINDRAFのチーフ、WaythamoorthyはHINDRAFの五カ年計画の青写真についての協議のために3月22日にナジブ・ラザク首相からの招待を受けている。
「HINDRAFのリーダーたちの間での議論の結果、招待を受け入れることを決めた。」 とHINDRAF顧問N GanesanはMalaysiakiniに語った。


HINDRAFは、以前インド系の貧しい人々を支援するために、その青写真を強調する反対同盟Pakatan Rakyat(pakatanは連合、rakyatは人とか人民とか国民とかの意味)の指導者と会談していたが、交渉は行き詰まった。
マニフェストにHINDRAFの要求のいくつかを追加したものの、野党指導者アンワル·イブラヒムは、HINDRAFの青写真を全面的に支持することに消極的に思えたそうだ。
Malaysiakiniとの最近のインタビューで、「Waythamoorthyは連立与党(UNMO)がPakatan Rakyat(アンワル氏がいるとこ)に比べると、その協力への道のりは長いものになる」と、選挙協定の可能性を一蹴した。しかし、彼は「首相がHINDRAFの要求を満たす必要があり、Barisan Nasional(国民戦線)にHINDRAFの考える青写真について提案する」と述べていた。

ナジブ・ラザク首相、その功績

ナジブ氏は2009年に就任して以来インド人コミュニティとの融和のために努力してきた。

また、イスラムの国、マレーシアの首相。政治家という立場から東南アジアとそのイスラム社会のために貢献してきた。

フィリピンの南方、ミンダナオ島で1970年から30年間、キリスト教徒が多数を占めるフィリピンから独立を果たそうとモロ・イスラム自由戦線は戦いを繰り広げていた。フィリピン国軍は掃討作戦を繰り広げ、解放戦線は高架鉄道を爆破し、フィリピンは今よりもずっとテロと紛争、そして誘拐事件の脅威に晒されていた。
 
(モロというのは以前のスペイン人によって呼ばれたイスラム教徒の総称)

この歴史的背景は1450年のスールー王国まで遡る。

2001年、ナジブ氏はマレーシアの首相として双方の間を取り持ち、双方の勢力は和平に至った
イスラム自由戦線は自治権を得て、もはや独立は求めていない。

この時ナジブ氏は、“The agreement will ensure that the Bangsamoro people will enjoy the dividends of peace, which they rightly deserve,In turn, they should respect their fellow Filipinos of Christian faith, as moderation is the true Islamic way.”となんかかっこいいことを言っている。

 東南アジアにはその国の多数派の宗教とは異なるマイノリティの宗教が独立を求める構図が多い。多くはその起源は欧米の植民地以前にある。

元パタニ王国で仏教国タイの中にあるマレーシアとの国境沿いの地域でもテロが起きている。タイのシナワトラ首相はクアラルンプールを訪問したときに、マレーシアにこの紛争問題の和平交渉の際に仲介をお願いしている。マレーシアはこの和平交渉をアレンジするとされている。

この先は選挙があるので、ナジブ氏が首相を続けるかどうかはわからないが、ナジブ氏の東南アジアの安定への貢献に私は期待している。

マレーシアの民族と歴史

中世、たぶん日本が朱印船貿易とかやってたころ、今のマレーシアの各地にスルタン(イスラム地域で言う首長というところだろうか?)の王国があり、モンスーン貿易で栄えていた。インドや中国から船が往来するため、昔から結構他民族な様相だった。今でもこのころのジョホール王国などは王国として、マレーシアのジョホール州として存在し、マレーシア連邦を形成している。

イギリスの植民地支配

マレーシアのクアラルンプール国際空港に着陸する飛行機からは広大なジャングルが見える。どんどん高度が下がるうちにそれは広大なゴムの木の森だということがわかる。世界史で習っていたプランテーションがそこにあり、「これでは経済が偏っても仕方ないな」と思わせるくらいの規模である。

この時、イギリスはインドから人を沢山連れてきた。主に彼らは炭鉱や鉱業などで働く。マレーシア北部のイポーなどは鉱山の町だった。また中華系は商業を従事し、マレー人は主に農場で働いていたため、その作物を取引するにあたり、華僑の人々が雇われた。

このころにマレーシアは更に多文化な地域となる。

マレーシアの独立

マレーシアはイギリスからマラヤ連邦として独立する。そしてマレー人と経済的に豊かな中華系の人々の経済格差から双方の対立が目立ち始めた。

そのためマレーシアでは経済の「affirmative action」として、そして華僑やインド系の立場からは差別的な政策として見られるブミプトラ政策が始まる。

やがて1964年の7月21日にマレー人と華僑は衝突し、死傷するものも出た。そして後の初代シンガポール首相で「マレーシア人のためのマレーシア」を訴えてブミプトラに反対したリー氏とプミプトラ政策(マレー人優遇政策)を推進していた当時の首相であるアブドゥル・ラーマン首相が公の場に現れ事態を収拾する。ちなみにラーマン氏は「その協力への道のりは長いものになる」とHINDRAFの代表に言われていたUNMOの政治家である。

この民族対立の収拾は絶望的になり、1965年、ラーマン氏は「忠誠しない州政府とは関係を断ち切る」としてシンガポールをマレーシア連邦から追放する。余談だが、シンガポールの独立を高校の先生は「日本からある日東京が独立してしまったようなもの」と教えていたが、それは真実とはかけ離れている。

その後、日本でも有名なマハティール首相の時代になる。マハティール氏は医者から政治家に転身し、医者時代は総合病院を辞職、開業医になり貧困層の診療に取り組んだ。そのため貧困や貧富の問題には敏感なのではないかと私は推測している。彼はラーマン氏の時代に「ラーマン氏はマレー人の生活向上に対して意欲的ではない」と批判している。また中華系とマレー人の格差を問題視していた。

私にもブミプトラ政策によって影響を受けている友人は多い。ブミプトラ政策ではマレー人が優先的に大学に入れるため、中華系の友人は台湾の大学に行っていたりする。また言語面でもマレー語のみが公用語なので、マレーシア出身の人同士ではインド系と中華系の人がマレー語で会話する場面もある。そのきっかけとして日本人の私が間に入っていたりもする。

またブミプトラ自体が中華系とマレー系の対立の結果生み出されたものという側面があるので、タミル語を話すインド系マレーシア人は蚊帳の外のような状態である。そしてインド系の住民はマレーシア政府から省みられることは少なかった。

このような状態がHINDRAFを生み出し、また民族対立の過去からマレーシア政府は彼らを違法な存在とした。HINDRAFとマレーシアにはこんな背景がある。

今マレーシアは民族間の関係という面において少しずつではあるが、進展が期待できるような感じがある。全てのマレーシア国民が互いの文化を尊重し、マレーシアを考え、仲良く平和に暮らせる未来が来ることを期待しよう。
 
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インド人俳優 Rajinikanth 療養のためシンガポールを訪問

マハティール政権下のマレーシア―「イスラーム先進国」をめざした22年[PR]

バンコクのトランジットに変化!?


 

2013年3月26日火曜日

中国・チョコレートの街

先日3月24日、中国の習近平国家主席はアフリカのタンザニアに到着した。主席になってから初のアフリカ訪問になる。また海外訪問はロシアに次いで二カ国目となる。

シンガポールのメディアは世界最大の石油産出国であるロシアとその消費国である中国のタッグというような視点から報道していた。その一方でアフリカの農業国であるタンザニアは他のアフリカ諸国と比べて、それほど資源が豊富とは言えない。

しかしながら、タンザニアと中国との関係は毛沢東の時代から始まり、タンザン鉄道などのインフラは中国の支援によってできた。そういう意味では非常に縁があり、訪問に適していると考えられるだろう。

この度の訪問ではタンザニアと中国の間で、タンザニアが中国から経済援助を受ける代わりに、タンザニアが領土問題などで中国の核心的利益(尖閣とかスプラトリー)とかの問題について中国を支持をタンザニアから取り付けたらしい。もちろんタンザニアも国連加盟国なので、このような外交の結果として我々がどのような結果を引き受けるのかということについてもよく考えなくてはいけないのかもしれない。

アフリカのチャイナタウン、中国のアフリカタウン

今やチャイナタウンは世界中にある。もちろんアフリカも例外なく。
チャイナタウンはガーナ、ケニア、マダガスカル、モーリシャス、モロッコ、南アフリカに存在するらしい。2006年にケニア中国学校というコミュニティスクールも開校したらしい。
中国のアフリカ進出は凄まじい。それを後押しするのは資源開発かもしれないし、中国の人権や民主主義などの条件を付けない外交なのかもしれない。
その要因の1つとして挙げられるのは中国の対外進出奨励政策である。中国企業のグローバル化と海外投資を奨励する。これを走出去政策という。逆に外資を勧誘するのは「引進来」というらしい。

中国はイケイケドンドンってイメージを持っている人は多いが、この走出去政策は意外と計画的で、1970年代後半から長期間に渡って、長いスパンで計画的に実施されてきた。共産主義とか民主主義ではない国でも優れたブレーンがいる場合は、へたな民主主義よりもずっと計画的なプロジェクトができる。民主主義国家がこれを超えるには国民一同猛勉強して考えるしかなさそうです。

 世界の工場である中国には「アフリカタウン」なるものが存在するらしい。アフリカタウンは中国の広州にあり、アフリカ-中国間の貿易商が多くいるらしい。広州はアフリカにとっての中国への玄関口なのかもしれない。ちなみに東アフリカの玄関はナイロビとかそんな感じ。

この広州にはアフリカの玄関のナイロビを初めとして、マダガスカルやカイロ、エチオピアにも航路があり、エチオピア航空やマダガスカル航空、ケニア航空などの飛行機が来る。日本の成田からアフリカに行く路線はエジプト航空のカイロ行きしか知らないので、それに比べるとえらい違いがあると思う。また、航路があるということはそれだけ2つの目的地間の人の行き来は多いということになる。(逆に中東以外からだと、ナイロビからは、ムンバイ、広州、ソウル、バンコクに飛行機が飛ぶ。)


このアフリカ人街が現地でなんて呼ばれているかというと、「巧克力城」と呼ばれている。
日本語にすると「チョコレートの街」と言ったような感じだ。

韓国人が北京の望京に住むように、日本人が上海の古北に住むように、アフリカ人は広州の小北に住むそうだ。

チョコレートの街の誕生

この街の始まりは90年代にアフリカ人が始めて広州に来て、安い中国製品を仕入れてアフリカに売り始めたのが始まりで、どんどん同じところにアフリカ人が集まり、アジア最大級のアフリカ人街を形成するようになったようだ。周囲には商店ができあがり、通りいっぱいに衣服や雑貨、コーンピーナッツなどの食べ歩きできるストリートスナックや食品などを売っているそうだ。
2010年の中国の官報によると広州のアフリカ人の人口は毎年30%から40%増えていっているらしい。

衝突

2009年7月。1人のナイジェリア人が警察から逃走した。警察は彼女を追跡し、その過程での事故で死んでしまった。その事件後、大勢のアフリカ人が警察署を取り囲み警察と睨み合った。中国が改革開放政策をしてから始めて、多数の外国人と睨み合うような事件が起きたのだった。

2012年にもひと悶着あり、その時はアフリカ人たちは路上でデモを行ったそうだ。

ライフスタイルの違い

中国人たちはアフリカ人のことをあまり好きではないそうだ。香水や体臭が臭いということを理由に挙げる人もいるが、最大の原因はライフスタイルが違いすぎることだそうだ。

アフリカ人たちは昼間に昼寝をして、夜はとてもアクティブだそうだ。中国人は夜はゆっくりと寝たいのに、彼らは音楽を流し、友人とダベり、酒を飲み、口論するのだそうだ。うるさくてやってられないとお金に余裕のある人たちは他所へ出て行ったそうだ。

アフリカ人たちの寝床

彼らが住居に払うお金は月300元だそうだ。彼らは周辺の古い住宅に住む。廊下は人が一人歩けるくらい。室内は蒸し暑い。シングルは300元、それに冷蔵庫やエアコン、家具がついて、ベットルームがあるアパートは1000元以上、そこに沢山のアフリカ人が住んでいるらしい。

偏見とChinese Dream

広州でタクシーに乗車拒否されるアフリカ人は多いらしい。しかし、ホテルで働いている人からすれば、アフリカ人に丁寧に、誠実に接すれば、とても多くのチップをもらえることもあるという。

アフリカ人の流入に乗って広州でアフリカ人のビザの手続きやサポートをする仕事をしているある男性はとても儲かっているという。中国の移民法はすごく厳しいが、彼らアフリカ人にとって法的な立場は中国で働く際にはとても重要になってくる。そして、中国人の従業員を雇っているアフリカ人経営者のビザは更新されるが、ほとんどの個人の自営業者は無許可で不法滞在な状態だ。

彼のように成功する人は稀だが、勤勉さや商才で中国人の尊敬を集めているアフリカ人は、地域社会のリーダーとなったり、委員会を設立し、メンバーの結婚式や葬式などのために会議を開き、いろいろと調整をしているようだ。

また、中国人の奥さんがいる人もいる。黒人男性と中国人女性がハーフの赤ちゃんを抱いている光景をよく見る。もしかしたら、アフリカ人男性とアフリカ人女性のカップルよりも多いかもしれない。
また、アフリカから妻を連れてきた人は、中国人のベビーシッターを雇っていることもある。

夢を見てアフリカに来た人の将来はどのようなものになるのだろうか。
とても気になる。

 

2013年3月10日日曜日

イスラム金融とお金の哲学(上)

 

 先日、シンガポールのイスラム金融が急速にしぼんでいるというニュースを読んだ。理由はシンガポールのTax Incentiveの期間が終わったことと、隣のマレーシア、クアラルンプールのイスラム金融市場が急激に膨らんでいるということがある。金融業会のヘッドハンターですら、シンガポールからクアラルンプールに拠点を移しているようだ。

 

 何を隠そう、このクアラルンプールはイスラム金融にとっての世界最大の金融センターなのだ。
マレーシアのSecurity Commission(証券取引委員会)によると、シャリアに関連する金融市場は年間15%も拡大している。貴方がいまケーキを食べてるとすれば4年経てばケーキがもう一個増えるって考えるとやはりすごいのではないだろうか。ドバイ、カタール、アブダビでもなく東南アジアのクアラルンプールが世界最大なのである。
 


 以前は東南アジア最大、というか世界最大のイスラム金融債権を売っていたのは、HSBCであった。香港でお札を刷っている香港上海銀行が…なんか変な感じではあるが、世界はそうやってできている。2番目にSukuk(イスラム債権)を発行していたマレーシアのMayBankの約2倍は、Sukukを印刷していた。中東ではイギリス系の銀行であるHSBCとStandard Charteredが持っていたSaudi British Bankが最も多くのSukukをアレンジしていた。シンガポールにはHSBCとStandard Chartered、MayBankは支店があり、馴染みのある銀行である。


 現在、サウジアラビアのAl-Rajhi Bankもマレーシアに24の支店を持っているそうだ。もちろんクアラルンプールにもある。2006年に初のマレーシアに来たこの銀行はイスラム金融の銀行としては世界最大である。もちろん本国サウジアラビアでも主要なInvesterだ。


 まぁとにかくクアラルンプールは盛り上がっているらしい。昨年は28億円分強くらいのSukukを発行して過去最高額だとか。そのニュースの文面にはSingapore seems to given up the ghostと書かれていた。give up the ghostを辞書で引くと「1. to stop trying to do something because you know that you will not succeed 」と書かれていた。

 

あぁ…イスラム金融ってなんぞやってことを説明するのを忘れてた…

イスラム金融とはイスラムの教義に基づいた金融システムのこと。

1.イスラム金融では利子(riba)を貪ることを禁止している。

貴方はお金を貸した人はリスクを負うべき思うだろうか。イスラム教では貸し出した金額以上のお金を受け取ることは搾取や不公正な取引として禁止されている。
貴方が利子を取られたり、トイチの借金取りに追われることを禁止している。

2.ガラール

「胎内の子らくだ(不確実な価値)を見越して母らくだを売買してはならない」

不確実性が認められる経済活動は詐欺的な行為として禁止されている。

3.マイシール

投機的な行為は禁止
FXで借金地獄に落ちるのは禁止! パチンコ屋で大負けするのも禁止だ。
 
実体経済からかけ離れた取引も禁止されている。

4.非倫理取引

イスラムの教義に照らして被倫理的なもの
豚肉、たばこ、アルコール、武器、麻薬、売春、ポルノなどは禁止
エロ本は禁止だし、前述のパチンコ屋のお金が北の国に流れるのも禁止だ。

 
利子って何?

利子ってとこから説明するの? あぁ利子ってわかんない人もいるのか…と思うかもしれないが、実際利子ってなんだと思いますか? 何で利子はイスラム教で禁止されるのか。日本でも利率って法律で制限されているでしょう? あれってなんでだと思いますか?

 

まぁここで社会人7ヶ月目が答えを出せると思う?


そういうことは貴方自身で考えるものだと思わない?


利子の定義は自分で考えて欲しい。でも利子を考えるときにキーワードになるのは時間だ。

利子を考えるときに私の大学の先生は、「利子は流動性を失うことへの対価」だと言った。
銀行家への給与や彼らの毎日の飯を考えるときには「銀行のサービスの対価」と言われる。
また、利子は保険とも言われる。リスクが高い投資ほど、利子(利息)は多く得られる。

ただ現代では高リスクの投資をし、投資に失敗しても政府が銀行家を救済する例があり、市民が怒り狂ってウォールストリートを占拠するため、一概にはよーわからん。

とにかく、前述の3つを考えたときに利子は時間と不可分と考えられる。
利子は時間が長ければ長いほど高くなるのだ。


どうして利子を取ることは悪いことなのか

実は現代のように複利で利子を取ったりすることは、世界の長い歴史から見ればほんの最近のことかもしれない。そして利子を取ることは前述のイスラム教では禁止されているし、旧約聖書でも貧困層や自分の(宗教的なor民族的な)仲間から利子を取ることも禁止している。利子を取ることは良いとしても高利は常に規制されることが多かった。

日本でも江戸時代の金利は年利20%から始まり、後に15%になり、その後に12%になった。そして礼金や手数料名目で法定金利以上取り立てるのは禁止になった。

そして日本には徳政令というものがあった。昔は徳政令というのは借金が帳消しになることだと思っていたので、中学のときくらいは「こんなことしたら経済終わるな」と考えていたが、実際には続いている。これはどうしてかと考えたことがあった。

実は徳政令は利子付きの借金が対象である。借金の元のお金は返済できても利子(当時は利平)が膨らんでどうしょうもなくなってしまうからだ。

逆に言えばイスラム圏にもヒヤルによる有利子金融は存在した。

リバを貪るの意味

リバとは買い手と売り手の間の不公平な取引(ボるとか公正ではない取引も入るのかな?)や不労所得を禁止している。利子はこの不労所得にあたる。

ミヒャエル・エンデがこれに近いことを言っていた。お金は価値を交換するために存在する。そう5ドルをフィレオフィッシュセットと交換するように。しかし、1晩寝かせたカレーはともかくフィレオフィッシュセットは食べる気がしない。

そして銅や木材に替えても、年貢米をとってもそれらの価値は落ちるが、お金の価値は落ちない。お金持ちは人にお金を貸したり、銀行に預けて利子を取る。そして貧富の差は開いていくし、もちろんそれは社会不安に繋がる。

そして今利子を払っている人はどれくらいなのだろうか。私がビジネスを始めるときに、100万円借りて利率が5%だったら、商品を売るときには当然利子分高く売る。無利子で金を借りられたり、手数料分なら手数料は増えていくことはないから、手数料を全ての商品の数で割り算して売るだろう。実はものを買ってる人も間接的に利子を払っている。そしてもし政府が借金をしたら、その借金の利子を払うのは国民だ。

そしてそれもまた社会不安に繋がる危険性を秘めているのではないだろうか。

豚を飼えば土地が痩せ、砂漠化するように、たぶん中東の商人は知っていたのではないかと私は推測する。利子を取ればどうなるかということを…

利子…というもののフィクション性

無い袖は振れぬ。こういう言葉が我が国にはあるだろう。
利子というものは先ほど述べたように時間と不可分な存在だ。

利子の定義を調べてたときにWikipediaを覗いたらこんな例えがあったので紹介しておきたい。

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複利計算に関しては、復古主義としてではなく、近年の脱資本主義的思想・運動からの疑義もある。マルグリット・ケネディはこのようなたとえを用いて複利計算の矛盾を問うている。
  • ヨゼフが息子キリストの誕生のとき(西暦1年紀元前4年かは不詳)に、5%の利子で1プフェニヒ(100分の1マルク)を銀行に預けたとする。
  • 彼が1990年に現れたとすると、地球と同じ重さの黄金の玉を、銀行から13億4000万個、引き出すことができることになる。
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 まぁこんな感じだ。もちろん地球と同じ重さなんて、そんなものはない。そしてこの人の著書によると、この経済発展はだいたい限界が来るらしい。その後は戦争なんかをしてリセットするんじゃないかな。私はまだこの本読んだことないけど。

そして利子計算の方法を良く知らないので下記のサイトに行って、100万円を年利5%で50年借りるっていうシミュレーションをしてみた。

http://www.loankeisan.com/

結果はこんな感じだった。

借入金額:100万円
ボーナス返済割合:0.00%
年間利子率:5.000%
貸付期間:50年
返済総額:2,724,316円
支払利息総額:1,724,316円

月額返済額:4,541円
年間返済額(月額返済額×12):54,492円

人類の経済が地球全体を覆っているかはわからないが、もし覆っていると仮定したら、利子分経済が成長すると考えると地球が2つと半分無いと5%の成長は維持できないらしい。

もちろんプラス成長もあれば、マイナス成長もあるし、実質金利にはマイナスだってある。
あなたが金を借りるときにマイナスの金利なんて無いだろうけどね。

経済はインフレし、成長するのかという疑問

私は経済学部で4年間学んだが、日本の年功序列システムから、奨学金というか教育ローン、年金システムまで、あらゆるものが経済の成長を前提として作られていた。だが、皮肉なことに私はマイナス成長も経験したが、インフレを経験したとこはないのだ。

でも金を借りれば金利は取られる。しかし、無限の成長は望めないのだ。
利子を返すためには、あるはずも無い利益を追う必要があるのかもしれない。

ここまで知っていれば、金利をつけて人にお金を貸すっていうのを禁止するっていうのは理解できない、ということはないだろう。

銀行からお金を借りれば利子を取られる。私たちは利子分を普段の生活の中で払っている。
現代の日本で生きていればこのようなことがとても自然な、当然のことのように思えたが、こうしたことを疑える機会を得るのは海外ならではであるということはない。日々を疑い、過去を探り、違う世界を見ることによって得られるだろう。

つづく


 
 
 

2013年3月1日金曜日

シンガポールとKLが高速鉄道で90分

 90分でクアラルンプール(KL)からシンガポールまで移動ができる。これはとても大きなことだ。
現状では、この区間をバスや鉄道は6時間(360分)、バスは5時間(300分)、飛行機が結んでいる。
だいたいKLIA(クアラルンプール国際空港)からクアラルンプール市街がKLIAEkspressという特急列車で28分で結ばれ、シンガポールのチャンギ空港から市街まではMRTで30分かかる。その他に搭乗手続きなどの時間を足すと、やはり高速鉄道が一番早い。

 
この計画はシンガポールのリー・シェンロン(李顕龍)首相とマレーシアのナジブ首相の非公式会談後の記者会見により発表されたものだ。両首相はこのプロジェクトを"Game Changer""One Vertual Community"と描写し、ビジネスや生活、余暇の過ごし方を大きく変えるものと考えているようだ。この計画では早ければ2020年までに高速鉄道の完成を目指している。

建設に関する憶測

 
高速鉄道の建設に関して様々な憶測が飛び交っている。まずこのプロジェクトに日本、中国(川崎重工が技術供与した南方車両?)、ドイツ(シーメンス?)などの高速鉄道メーカーが興味を示している。

また、インフラの建設に関してはコストの安い中国企業が有利だとか、シンガポールのコングロマリットであるKeppel CorporationやSembcorpがマレーシアの企業と合弁会社を組むとか色々である。
詳細に関しては発表されてはいない。

実際にシンガポールでコストの安い中国企業が新しいMRT(通勤電車)を作っていたりする。
聞いた名前では「上海隧道工程股份有限公司」がトンネルを作り南方車両製のMRTも走っているのかもしれない。

あまり関係はないかもしれないが、日本企業は後先のことを考えず技術をヤバイ国にポイポイ売ってしまい、こういうビジネスチャンスをものにできるのだろうかと心配になる。今は中国がかなり競争力をつけている。

高速鉄道VS飛行機

一般的に利用客は高速鉄道での移動時間が4時間を越える場合、航空機を移動手段として選ぶとされている。また、4時間以内の場合は高速鉄道を選ぶ可能性が高い。日本では新幹線を300kmで走らせ、東京と青森の間が3時間で結ばれた。新幹線は4時間の壁を越えようとしている。
その一方で航空会社は格安航空会社を設立するなどして新幹線と競合している。

シンガポールとKLの状況は逆である。以前はKLからシンガポールまでは格安航空会社が飛び回っていた。KLIAからAirAsiaが、よりKL市街に近いスバン空港からはFireflyが既に飛んでいる。
そこに高速鉄道が競争相手として参入するので、非常に興味深い戦いになるだろう。

LCCは存在しなかったが、航空との競争があった台湾高速鉄道では、高速鉄道が圧勝し、その結果、遠東航空が破綻した。高速鉄道開業以前は航空の輸送実績は800万人以上で、2都市間の輸送実績では世界で3番目であった。ちなみに在来線の輸送実績は265万人強である。ある意味飛行機の輸送人数は高速鉄道の見込み顧客の人数として計算できるかもしれない。ただし、LCCが登場した現在では状況は異なる。

高速鉄道と飛行機、高速バスの違い

鉄道と飛行機、バスの違いは、鉄道は容易に撤退できない。鉄道の運営会社とインフラ保有会社が上下分離されていれば話は別かもしれないが、鉄道は収支がプラスマイナス0の場合は輸送を継続し続けるとされる。また、高速鉄道が飛行機より有利な点は、気軽に乗れる。悪天候に強い(スコールにも?)。そして頻繁に走るということだと思う。あとは車内を自由に歩けるところとか、行きたいときに綺麗なトイレに行ける所もポイントが高い。

マレーシアの鉄道

マレーシアの鉄道は日本の鉄道事情と同じく狭軌だ。ただし軌間は異なる。そのため、線路幅の広い高速鉄道を作るときは、既存の在来線の線路が使用できず、新しく鉄道を作り直す必要がある。日本の新幹線のように。また、マレー鉄道は、現状シンガポールの北の端のウッドランズチェックポイントを出発し、ジョホールバルに入り、ものすごい遠回りをしてクアラルンプールに至る。
また、シンガポールの鉄道駅があるウッドランズから、シンガポールの中心部まではかなり遠い。
 MRTで30分はかかるのではないだろうか。

マレーシアは連邦国家である。そのため各州にスルタンという首長がいる。彼らが地元に駅が欲しいといえば駅ができるのなら、おそらくジョホール、マラッカ、ヌグリ・スンビランと最低でも駅は3つはできそうだ。高速鉄道がシンガポール中心部まで乗り入れ、駅の数が多くなり、既存の駅の他に新しく新幹線の駅を作るとなると、状況は台湾高速鉄道や日本の新幹線と似通ってくる。

高速鉄道と国境

シンガポールのオフィス街に近いタンジョン・パガー港の隣に駅の跡地がある。これは以前シンガポールに乗り入れていたマレー鉄道の駅の跡である。線路は廃線になり、鉄道は前述のウッドランズチェックポイントまで後退した。それ以前では、マレーシアとシンガポールは鉄道の出入国の審査についてかなり揉めた。マレーシアは鉄道施設はマレーシアの主権下(マレーシア国営の鉄道)なので、タンジョンパガー駅で出国審査をしたが、シンガポールは、シンガポール国内に入ってすぐにあるウッドランズチェックポイントで入国審査をした。

高速鉄道で重要なのは国境の取り扱いである。せっかく高速で走れるにもかかわらず途中で列車を降ろされて出入国審査をしては、速達効果には悪影響になる。

シンガポールのニュースでは、国境を越える列車として英仏海峡トンネルを通り、パリとロンドンを結ぶユーロスターが例に挙げられる。確かこの列車の場合、パリからロンドンに行くときは、パリでフランスの出国審査とイギリスの入国審査をやってしまうのではなかろうか。また両国はEUに加盟しているということもあるので、国境は他の国と比べて比較的容易に通過できるのかもしれない。

高速鉄道はマレーシアとシンガポールの経済的な結びつきを深化させる存在として注目されているが、両国の国境の形や両国関係を変えるのだろうか。

現在マレーシアの経済目標であるWAWASAN2020もあり、シンガポールも成長の形を問われつつある。そんななか打ち立てられた今回の計画を通して今後の両国関係がどのように変化するか注目していきたいと思う。