あぁ最近
彼女はSingapore is not a place for artistと言っているようで、
やはりシンガポールの教育システムから外れた道を歩く人への風当たりは厳しいようです。
彼女もeducation systemという点について語っているようで、やはり教育がその国の雰囲気やその国そのものを作っているということを最近よく実感します。
原因についての考察
私の足りない脳みそでこんなこといったら申し訳ないかもしれません。
でもそれなりに見解はあるので、恥ずかしながらここに書いてみようかと思います。
日本でもひょっとしたら同じかもしれませんが、シンガポールにもかつて景気の良い時代があったのか、それとも今が景気がいいのか知りませんが、
(私は「景気の良い時代があった」んだと思います)
「景気が良い」時には雇用も沢山生まれます。というか労働力不足です。
そういう状況ではできるだけ多くの「教育された」人々を労働市場へ送り出そうとするのです。
例えば40人のクラスで40人がビジネスマンで企業に雇われて働くという状況は理想的です。
もしそのうち2人がアーティストになりたいとか、5人がバンドを組みたいといったら
40-7=33で33人が(取引があるという意味での)労働市場に送り出され、働きます。
アーティストとしての生活をリスキーと考える人もいるかもしれませんが、人には本来、職業選択や思想良心の自由があります。そのため、その人に「自発的に」職業選択をさせなければなりません。
彼らは借金をしてローンを組み、車や家を買ってお金の鎖に縛られます。もう働くことから逃げられませんね。
そのような教育を受けたmajorityの中で、そしてmajorityのために作られたシステムの上でマイノリティとして生活することについて、まだ私の見解はできあがっていませんが、「難しい」ように感じます。
例えば日本の年金制度は自営業だと全額ですが、会社で働くと支払う金額は会社と折半になります。シンガポールにも同じような制度があるようです。
その中で、マイノリティも生活をしていく結果出た不満がさっきのリンク先の動画のようなものかと思います。ときにシンガポールのマジョリティと価値観をすり合わせるのは私(日本人の20代)自身とても難しいと感じます。
景気の良い時代は日本もシンガポールも「経済成長を前提」にして制度や教育を組みます。
そして、その「経済成長」を前提にした価値観を信じている親から次の世代が生まれるかもしれません。
(皆がみんなそうではないので・・・)
親世代の言うことや社会の雰囲気を信じきちゃっている人、疑っている人様々ですが、日本もシンガポールも教育に関して「改革」が起こっているのかわかりません。
(人間は社会を作る生き物ですから。)
日本では、私の学生時代は以前と比べて「ゆとり教育」とか言われているものの、教育スタイルなどが依然と変わっているのか、本質はどこにあるのか、という点については疑問でした。
私の親世代も経済成長前提の価値観を信じているし、学校の先生や教育も「変化していない」のかもしれません。私たちの教育は受身過ぎると感じているシンガポール人や日本人に今まで何度も会ってきました。
(最も強いものが生き延びるのではなく、最も賢いものが生き残るというものでもない。唯一生き残れるのは、変化できるものである チャールズ・ダーウィン)
そして今は・・・
ですが、残念ながら、子供たちは親の時代ではなく、まぎれもなく「今」を生きているのです。
今は2008年以降、景気も悪くなり、私たちは今までの価値観に疑問を持っているのかもしれません。(疑問を持っていない人は沢山います。素直な良い子たちです。)
でも、経済成長前提のストーリーなんで絵空事です。フェアリーテイルには教訓がありますが、
このストーリーにどのような価値があるのでしょうか。
今、自分の夢や目的を持って、自分で道を選択し生きる人々が以前より増えてきたように思います。
広い世界や、多様な価値観に触れ、自分の道を進むこと、人生という海を自分のやり方で航海することが求められているこの時代に、今までの価値観を押し付けることなんてできないと信じています。
私は彼らが次の時代を、より良い時代を作ることに期待しているのですから、希望を潰すことなんてできません。
現状維持でなんか良くなるとは思えないので
さて次の日本はどこへ行くのでしょうか。
思い立ったら吉日、自発的に考え、行動してみる時です。